祭神:
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
神功皇后(じんぐうこうごう)
応神天皇(おうじんてんのう)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
武みか槌命(たけみかづちのみこと)
萬幡比嘩命(よろずはたひめのみこと)
田心比めの命(たごりひめのみこと)
天押雲命(あめのおしぐものみこと)
外七柱
鎮座地:日南市大字板敷字十文字八一七八番地
例祭日:十一月二十五日
社殿:
本殿(流造)七坪
拝殿(権現造)一五・七坪
境内坪数:一、〇〇一坪
創立年月日:天永元年(一一一〇)庚寅
由緒沿革:
『日向地誌』によると、彦火々出見尊、豊
玉姫、応神天皇を祀るとある。大隅国桑原郡
に稲津弥五郎というものがおり、その地の一
宮正八幡の神体を背負い来て、この地に祀っ
たという。社殿は天永元年庚寅十月二十五日
創建すると伝える。島津氏が飫肥を領した時
代にも大いに崇敬したが、伊東氏の飫肥初代
藩主伊東祐兵(報恩公)が楠原八幡原にあっ
たのを現在地に遷座したともいわれる。(天
正十六年、『日南市史』による)伊東氏が領主
となってからも、領内尊社四座の一つとして
社禄五十四石八斗を寄付し、尊崇が篤かった。
明治四年、寄付禄も廃止されたが、同五年
鳶が峯西麓の春日大明神、今町の北にあった
広木田大明神、加茂東隅の加茂大明神、中島
田東麓の○大明神、願成就寺原の北の大将軍
の五座を合祀し、板敷神社となった。このた
め、外七柱の祭神は次の通り。
蹟たら五十鈴媛命(たたらいすずひめのみこと)
磐長比めの命(いわながひめのみこと)
大山つみの命(おおやまつみのみこと)
国常立命(くにのとこたちのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
別雷命(わけいかすちのみこと)
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
明治二十四年に、再び田ノ上八幡神社と改
称され、同四十年二月、神撰幣吊料を供進す
べき神社に指定された。
明治五年までの十月二十五日の例祭には、
流鏑馬二頭が祭りを盛り上げ、長大弥五郎の
偶人形が町内を練り歩いた。流鏑馬はいつか
すたれたが、竹龍を編んだ一丈半以上の巨人
の人形が衣袴を付け、長刀を帯び、右手に長
槍をつかせ四輪車で子供たちが引く弥五郎の
神賑行事は、町の電線に触れるなどで中絶さ
れたこともあるが、いまなお続けられている。
この弥五郎は、鹿児島県の岩川八幡などで
同様な行事が行われている。『日向地誌』は
「弥五郎は、稲積弥五郎の縁故なり」といい、
寛政年間の薩藩の自尾国柱の著書で、武内宿
祢とか、川上○師をかたどったものとかの言
い伝えがあることを紹介、みな八幡神社の神
輿渡御の先駆をしている点から武内宿祢を擬
したものではないかとしている。
「神社明細帳」 によると、境内神社一社、末
社門守神社、祭神豊石窓神櫛石窓神
境内の楠は、伊東祐兵が楠原字八幡原にあ
った八幡神社を天正十六年(一五八八)、現在
地に移した記念に、祐兵自身が手植えしたと
伝えられ、樹高三〇・五b、周囲八・八b、
樹齢三百八十年といわれ、日南市の天然記念
物に指定されている。
|