祭神:大山つみ命(おおやまつみのみこと)
磐長姫命(いわながひめのみこと)
鎮座地:日南市大字松永字後迫一二三九番地
例祭日:十一月五日
社殿:本殿(流造)八坪
拝殿(入母屋造)九坪
境内坪数:一五四坪
創立年月日:不詳
由緒沿革:
創立は不詳だが、棟札の写しによると、延
宝三乙卯(一六七五)歳三月再興とあり、和
銅年間云々の文もあり、かなり旧い創建とみ
られる。松永は広渡川(東川)下流左岸、鵜
戸山系東岳の姥に位置し、水利豊かな耕地が
広がる。天文年間から永禄八年(一五六五)に
わたって、都於郡領主伊東義祐(三位入道)が
飫肥城島津氏との攻防で、争奪を繰り返し
た鬼ケ城跡は、東弁分村と界し、水ノ尾城
(貝殻城)と山続きである。伊東氏の飫肥領
主三代を継いだ祐久が弟祐豊に松永など三千
石を分知し、元禄二年(一六八九)孫祐賢が
旗本蔵米取りを願出たため、松永村は幕府領
となった。広渡川下流の伊東領の用水を確保
するため、天領となる際、飫肥藩は井堰の水
番四家を村内に移住させた。旧伊東領の古い
神社の造営には、必ず伊東家の領主の名が出
て、神領も寄進されているが、当社ではその
後元禄二年(一八八九) 二月、享保九年(一
七二四)九月、安永八年(一七七九)九月の
造営の棟札には、神主と大工の名が記録され
ているだけである。明治になってからは、二
十五年に改築され、明治三十九年、神○幣吊
料供進社に指定された。現在の社殿は昭和三
十年の造営によるものである。
『日向地誌』によると、旧称を山宮大明神
といい、明治五年、川津留の諏訪大明神、右
田の大将軍の二小社を遷座合祀し、今の名に
改めた。また、二祭神のほか祭神に健御名方
命があげられている。鎖鎌の武芸で伊東氏に
仕えた倉田某なる武士が出陣に際し、主命に
より北郷町曾和田の神社に預けたご神体が、
洪水で松永に流れ着き、村民に祭られている
ことが、後にわかった。そのため、宵宮には
必ず仕えよとの家訓が残されている家があり、
それが本社か、別に両の残る大将軍かは、は
っきりしない。
境内には松永祖霊社が祀られ、神葬祭の氏
子七十世帯が、春分、秋分の日に霊祭を行な
う。毎年春、五穀の豊穣と家内安全祈願のた
めに、区主催による春まつり、神楽が特殊神
事として受け継がれている。
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