素さの鳴尊(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
鎮座地:日南市大字東弁分乙三五番地
例祭杜:十一月十二日
社殿:本殿(入母屋造)九坪
拝殿(権現造)一二坪
境内坪数:五九六坪
創立年月日:和銅元年(七〇七)
由緒沿革:
社縁起によると、景行天皇熊襲征伐のおり、
本園遊地に立ち寄り休息されたところという。
その後和銅元年(七〇八)、素○鳴等外二柱
を祀る。『日向地誌』によると「社地内に老
楠二株あり、いずれも、六、七百年を経し老
木なり」とある。また文明二年(一四六八)
藤原忠続寄進の古鏡ありとしているが、老楠
は現在、樹齢七百年以上と推定され、根回り
二十四b、高さ四十bの巨木で、高さ二bの
ところで椋を抱きこみ繁っており、国の天然
記念物の指定を受けている。数年前、近くの
大川田に楠の老木が埋れているのが発見され、
約三首年前、広渡川の氾濫で流され、土中に
埋まったもので、往時、夫婦楠と呼ばれてい
たものといわれる。
古鐘は現在失われているが、忠続は、当時
飫肥城主だった新約近江守忠続で、島津の族
将だった。永禄五年(一五六二)、伊東義益
が再建、寛永十四年(一六三七)伊東祐久、
貞享四年(一六八七)伊東祐実が相次いで営
繕、社禄十二石五斗を寄進した。旧称は大宮
大明神といい、明治五年、神田にあった皇子
権現(襲津彦皇子を祭る)土楽ケ迫の諏訪大
明神、神田の大将軍の三座を遷座、合祀し現
社名に改称した(『日向地誌』)。明治四十年二
月、神○幣吊料を供進すべき神社に指定され
ている。『日向国神祇史料』には三祭神のほか
岩長姫命も祭神にあげられている。襲津彦皇
子(そつびこのみ)は、『日本書紀』には、景行天皇と次妃日
向髪長大田根姫(かみながおおあひめ)との間に生れた皇子として出
ており、隣り地区には、同様に景行天皇の熊
襲征伐のとき、ご駐の跡と伝える伝説地が
あり、髪長姫を祭る益安神社がある。
境内には門守社、祭神櫛磐窓神、豊磐窓神
の二社がある。
特殊神事には、昔から二月はじめの初午
に五穀の豊穣を祈願する初午神楽が奉納され
る。また旧暦の一月十日に稲の品種選び稲初
植祭が行われる。斎主の祝詞奏上ののち、神
歌で年の始を寿ぎ、神前、東、南、西と歌いつ
ぎ、西は「千代千代と波のをりめは七をりめ
八重のをりめに福の種を蒔く」と歌い収め、
秋穂の方を決め、社人が鋤で作られた田の形
に彼岸花の根(凶作のときの救荒植物だった
といわれる)で田植えをする、年ごいの祭で
ある。
甲、乙地区の御旅所に一年交代に巡幸され
る例大祭のご神事には、獅子舞保存会の青壮
年による二頭獅子舞いも奉納される。 |