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日南市の神社

郷原神社 ごうのはら(旧村社)

 


■所在地: 889−2402 
        宮崎県日南市北郷町郷之原乙5032
■連絡先:0987−55−2131
■代表役員:宮司 松田 治生

御祭神 大山津見神
      活津彦根神

略記
郷原神社は、旧称が山宮で太古より稲作を中心とする人々の信仰の場所でした。
郷之原は、中世では、郷之原城の攻防・島津寄郡の飫肥北郷・日向安国寺・飫肥街道
の中間点・流通の拠点として知られており、近世では、郷之原村・飫肥杉の生産地として
知られている。郷原神社は、郷之原の鎮守様として長く信仰を集めてきた。
延宝年間に鵜戸山権現の神主となった松田権太夫は、祭祀と共に神楽を伝え、現在まで
300年以上に亘って伝えられている。

神社の歴史
郷原神社は、旧称が山宮神社、明治初期に全国で行われた神社の統合により、郷之原にあった13社を合祀して、郷原神社と名称を変更する。
山宮の歴史は、古く、およそ二千年前の弥生時代に起源する。「山宮」とは、山の山頂付近にあった山の霊を祭る「場所」を指していて、そこで稲作の祭りが行われた。
全国の歴史ある大社・小社の多くは、山を背に社殿が設けられている。現在でもその山の中に「山宮」という地名が残っている場合がある。
郷原神社の「山宮」も山の頂上付近にあった山宮の名残りで、神社名として長く使われたのであろう。
郷原神社の最も古い宝物は、天正年間のもので四百年以上前のものである。
江戸時代になり、幕府の法度である「神社条目」(寛文五年)により、江戸時代の神主は、京都・吉田家、白川家によって統制されていくが、代々鵜戸山神主であった松田家の松田権太夫は、延宝二年(1674年)に吉田家より法度の定めによる鵜戸山祠官となり、それ以降松田家は、幕末まで200年間に亘り現在の郷原神社・潮嶽神社・宮浦神社・大藤神社・住吉神社を含め現日南市の21社の正祝子(宮司)を兼任した。
明治になり、各村の社に神主が立つようになり、現在に至っている。

宮司の解説
神社は、長い長い歴史を持っています。多くの神社は、社殿すらない時代の方が長いのです。
社殿の無い山の上の祭りの場を山宮といいます。
そのような長い歴史のなかで地方の小さな神社の神主が専業で生活できるようになったのは、つい最近のことです。
現在でも兼業神主が多いですが、よく知られている所では、頭屋制と言って村の代表が交代で一年間だけ神主になる仕組みがありました。一年間といっても毎日ではなくて、もちろん祭りの時だけです。
そのようにして神社の祭りは続けられてきました。村と村人の祭りとして続いてきたのです。
ところが寛文五年(1665年)に江戸幕府から「神社条目」という法度が出され、神主の免許制が始まりました。
自由に神主が出来なくなりました。
神主も僧侶も江戸幕府の身分制に組み込まれたのです。
そうして免許を受けた神主が地域の多くの神社の宮司を兼任したわけです。
兼任しなければ、やっていけなかったし、身分が固定していたので新たに神主になることは出来なかったのですね。
神社の地図のページで示したのは、私の先祖である松田右近が延宝三年(1675年)以降幕末まで正祝子であった神社の分布図です。
かなり広範囲に広がっています。明治以降は、各村の神社に神主がたつようになって現在に至っています。

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