祭神:
大国主神(おおくにぬしのかみ)
大山祇神(おおやまつみのかみ)
合殿
八十禍津日神(やそまがつひのかみ)
大禍韓日神(おおまがつひの)
神直日神(かむなほびのかみ)
底津海童神(そこつわたつみのかみ)
中津海童神(なかつわたつみのかみ)
表津海童神(うはつわたつみのか)
底筒男神(ふそこつつおのかみ)
中筒男押(なかつつおのかみ)
上筒男神(うわつつおのかみ)
鎮座地:日南市大字下方字本町四五八六番地のイ号
例祭日:十一月十五日
社殿:本殿(流造)一〇・五坪
拝殿(入母屋造)二九坪
境内坪数:四二一坪
創立年月日:寿永元年(一一八二)
由緒沿革:
古記録によると、寿永元年壬寅の創立で、
享保五年(一七二〇)十一月十五日、既肥藩
主伊東家の産土神三島神社(伊豆国田方郡三
島町鎮座)の祭神大山紙神の分霊を奉持して、
隣村外浦港に上陸、古来大堂津に三島の森と
いわれていた鎮守の社に、勧請されたという。
寛、水年間奉納の石燈寵と寛文二年ご造営の棟
札が残っており、享保以前にも、ご造営があ
ったことが明らかである。享保の勧請後は開
運勝利の神として藩主の尊崇篤く、参勤交代
の往路、帰路には必ず立寄り、毎年例祭には
三石六斗の寄進があり、藩主の代拝を待って
祭りが行われていた。
その後造営は宝暦三年(一七五三)九月、
文化十二年(一八一五)九月と重ねられた棟
札が残っており、改築修理は全部伊東藩主に
おいてなされていた。明治の始め内門町の大
火により社殿が焼失したが、藩主・氏子の協
力により再興された。明治四十年二月、神○
幣○料を供進すべき神社に指定され、大正九
年二月村社に列せられた。
末社には恵美須神社(祭神、事代主神)稲
荷神社(祭神、保食神)があり、御旅所の住
吉神社は昭和五十五年に復元新築した。現在
では、大堂津漁港を守る海の守護神として、
氏子七百余戸により崇敬されている。秋の例
祭のほか、夏の神事祭には、獅子二頭舞が出
て賑わう。 |