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日南市の神社

福島金谷神社 ふくしまかなや(旧無格社)

 

祭神:足利義昭大僧正(あしかがよしあきだいそうじよう)
鎮座地:串間市大字南方四二七六番地
祭日:旧暦十月一日
社殿:
本殿(流破風造)四坪
拝殿(切妻造) 七坪
境内坪数:六一坪
創立年月日:明応七年(一四九八)
由緒沿革:
 『県史蹟調査第六輯』によると、足利義昭
(尊○)の霊を祀り、飲肥領主島津豊後守忠
朝が明応七年戊午五月十五日、創建した。明
治五年ひとたび櫛間神社に合祀したがその後
復興した。その創立については『島津国史』
によると、櫛間にしばしば妖怪があり、これ
は大覚寺殿と呼ばれた義昭のせいだとして、
櫛間総奉行の美作守藤原直久が両を立てて祀
り、その後忠朝の奏請で神祇官卜部兼倶に福
島大明神の神号を賜わったところ妖怪がやん
だという。
 義昭は足利三代将軍義満の第六子で、将軍
の後継争いに破れ、南朝方とともに永享十年
(一四三八)大和で兵を挙げたが、敗れて当
時南朝を支持する勢力の多かった九州にのが
れ、薩摩を経て、櫛間院地頭の野辺刑部輔盛
仁の庇護を求めた。野辺は義昭主従を北方永
徳寺で手厚く保護したが、その行方を手配書
を配り、厳しく追求していた将軍義教(第六
代、義満の第三子)が、その所在をつきとめ、
薩州島津忠国に義昭殺教を迫った。このため、
飫肥城を守っていた新納忠続以下の族将が嘉
書元年(一四四一)三月十三日、永徳寺を攻
め、義昭は近くの笑止田で自刃(三十七歳)、
首級は船で京都に送られた。従僧源澄も、あ
とを追って殉死した。
 秋月氏が櫛間を支配してからも、寛永十三
年(一六三六) から祭祀料四石五斗を毎年寄
進、文久三年(一八六三) からは、海岸防御
のためとしてさらに三石などを追加し、明治
維新まで続いた。義昭の墓などについては、
同史蹟調査に詳しく、また義昭の辞世の歌な
どは、島津忠国が義昭供養のため建立した薩
摩大興寺縁起に詳しい。
 現社殿は昭和五十二年十二月、氏子が相謀
り、原形のまま大修理した。

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