祭神:
健御名方命(たけみなかたのみこと)
市杵島命(いちきしまのみこと)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
火産霊命(ほむすぴのみこと)
聖神(ひじりかみ)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
大雀命(おほさざきのみこと)
菅原神(すがわらのかみ)
大年命(おほとしのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
沼河姫命(ぬなかわひめのみこと)
鎮座地:串間市大字市木七二三五番地
例祭日:十一月十五日
社殿:
本殿(権現造)七・二坪
拝殿(権現造) 九坪
境内坪数 六〇九坪
創立年月日:不詳
由緒沿革:
「高鍋藩寺社帳」によると旧称を三十五社大
明神といい、本地を聖観音とし陽成天皇第一
皇女を祀るとある。皇女は故あって隠岐国に
遠流となったが、嵐のために福島院市木浜に
漂着、無事安産されたという。村上天皇の天
暦二年(九四八)に岩下三十五社大明神を建
て、康正二年(一四五六)、野辺盛仁が再興、
その後、永正十四年(一五一七)島津忠朝、
天文二十一年(一五五二)に島津忠親が再興
したことが棟札で明らかで、寛文七年(一六
六七)から幕末まで藩主秋月氏により社領四
石五斗を寄進して来た。
祭神については、「神名録」が元明天皇之
孫也としているのを「旧記」が否定し、『県
史蹟調査第六輯』では「是等の事一々正史よ
り見て論ずべからす」としている。鎮座地に
っいては、もと字大王山にあったが、承久三
年(二一二一)六月、字中山に遷宮、元禄中、
現在地の諏訪山に遷座した。
『日向地誌』によると旧称三十五社大明神は
祭神詳かならずとし、明治五年、本社内にあ
った建御名方命を祀る諏訪大明神など十座の
小社を合祀した。小島にあった市杵島姫命を
祀る弁才天、海北の稲荷大明神(祭神、倉稲
魂命)、郡司部の火産霊命を祀る十六天神、
古戸の大田子大明神(祭神、聖神)、藤浦にあ
った大山祇命を祀る山ノ神、堀内の菅原道真
を祀る天神、石渡の岩下明神(祭神、滑河比
売命)、海北の大歳の神(祭神、大年神)が
それで、名も現在のように改められた。明
治三十九年神俣幣吊料供進神社に指定された。 |