祭神:
底津綿津見命(そこつわたつみのみこと)
中津綿津見命(なかつわたつみのみこと)
上津綿津見命(うわつわたつみのみこと)
鎮座地:串間市大字大約字御崎五八番地の丙
例祭日:十月十五日
社殿:
本殿(入母屋造)間口三・五尺
奥行五尺
境内坪数:一二四坪
創立年月日:和銅元年(七〇八)三月三日
由緒沿革
鎮座地は六ほ射あまり岬の南方に突出し、
北は御崎馬の放牧で知られる原野に連なり、
西南は大隅の佐多岬と相対し、眺望絶佳の地
であり、神社の周辺は、国の特別天然記念物
の蘇鉄の自生林である。旧称を御崎三所大権
現といい、『県史蹟調査第六輯』によると、
元暦元年(一一八四)土拝信森がこの地に来
て雨宮となって以来二十三代に及んで継承、
初め島津忠久に信森が由緒を申達して以来、
領主歴代神領を寄進し尊崇篤かった古社とい
う。
「高鍋藩神社調」 によると、縁起は福島院、
土肥御崎、三所大権現について『古事記』の日
向の橘の楔祓のくだりから三祭神が生れたこ
とを述べ、御崎三所権現の名を賜うのは、佐
田御崎、火御崎、土肥御崎の三つで、三月三
日のご託宣により、六月社殿を建て崇め奉っ
たという。棟札には永禄五年(一五六二)十
二月島津忠親、天正十五年(一五八七)十二
月、島津忠久の名が記録されており、秋月領
となっても尊崇篤く、幕末まで社領十五石を
寄進して来た。
明治六年五月、神社改革により都井神社に
合祀された。しかし、その後も旧社殿に参拝
するものが絶えず、そのうえコレラが流行し
たり、稲作の穂枯れなどの凶作が続いたため
に村民がこぞって復社を切望したので、明治
十三年二月許可になり、旧社殿へ奉還の祭典
を斎行した。以後、現在名となり、崇敬され
ている。明治三十九年神餅幣吊料供進神社に
指定された。
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