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| 中国の恐竜発見史 | |||||||||||||||||||
| 中国は、中生代のすべての時代の地層が切れ目なく見つかる、世界でも珍しい国のひとつであり、状態のよい化石が大量に産出されるため、恐竜の系統研究において、きわめて重要な地位めています。 しかし、中国の恐竜学は、恐竜学史のなかで、遅いスタートを切りました。少なくとも1920年代まで、中国の恐竜研究は、ほぼすべて外国人の手によって行われていたのです。 記録に残る中国最初の恐竜化石発掘のきっかけは、1902年に黒竜江(アムール川)流域のロシアの植民地監督、マナキン大佐によってもたらされました。彼は、黒竜江付近の漁民から巨大な動物の化石骨を入手しました。その報告にもとづいて現地に向かったロシアの地質学者ベンガルテンは、現在の黒竜江省・嘉蔭において恐竜化石のボーンベッドを発見しました。この化石層は1917年に発掘され、1925年、そのなかからカモハシ竜マンチュロサウルスが記載されました。これが、史上初の中国における恐竜化石発掘とされています。 1913年から15年にかけ、アメリカ・カリフォルニア大学バークレー校の地質学者ローダーバックが、現在の四川省の地質調査を行い、栄県(現自貴市栄県)において肉食恐竜の大腿骨の一部と菌の化石を発見しました。ただし、これが公式に報告されたのは1935年のことです。 また、アメリカ自然史博物館は、1919年から中央アジアでの発掘のための予備調査を開始し、1922年、最初の本格的な調査のため、有名なアンドリュース探検隊が北京からモンゴルへ向かいました。このとき、中国・内モンゴル自治区のエレン・タブスで行われた発掘調査で、アレクトロサウルス、バクトロサウルスなど、多くの恐竜化石が採集されました。 さらに、1920年代から30年代にかけ、いくつもの探検隊が中国に入ります。1923年、オーストリアの古生物学者オットー・ズダンスキ−が山東省蒙蔭県で竜脚類ユーへロブスを発掘し、1927−31年のスウェーデン・中国合同調査隊は、内モンゴル自治区と新彊ウイグル自治区で、ミクロケラトブス、へイシャンサウルスなどを発 見しました。 そして、このころには、中国国内でも第一世代の恐竜研究者が1922年、中国の地質学者、渾錫疇は、スウェーデンのグンナール・アンデルセンと共に、山東省莱陽県においてハドロサウルス類の部分骨格化石を発見し、これは、1929年にカール・ワイマンによってタニウスと記載され、中国人の発見した最初の恐竜となりました。 続いて登場したのが、中国恐竜学の父と呼ばれる楊鐘健です。 彼はドイツに留学して本格的に古生物学を学び、1928年に帰国後、1931年のフランスの調査隊にも参加し、理論と実践双方 で体系的に古生物学を身につけました。1930年代には、研究対象を恐竜に絞り、中国南西部の四川省、雲南省を中心に調 査を進めるとともに、後進の育成にも努めました。 1938年、楊に雲南での発掘を勧められた地質学者の下美年らは、雲両省禄豊(ルーフオン)で古竜脚類のほぼ完全な骨格を発見、これは1941年、ルーフェンゴサウルスの名で楊によって記載され、中国で初めて全身骨格が組み立てられた恐となりました。これを記念して、1958年にルーフェンゴサウルスの切手が恐竜を使ったものとしては世界で初めてつくられました。 こののち、第二次世界大戦と中華人民共和国の成立を た。 こののち、第二次世界大戦と中華人民共和国の成立をはさみ、1950年代から60年代にかけて、中国各地で恐竜発見が続きまし た。 1950年には山東省莱陽県でカモハシ竜チンタオサウルスが、1952年には四川省馬門渓で竜脚類マメンキサウルス、1957年には四川省で恐竜発見が続きました。1950年には山東省莱陽県でカモハシ竜チンタオサウルスが、1952年には四川省馬門渓で竜脚類マメンキサウルス、1957年には四川省合川で同じくマメンキサウルス、1964年には山東省諸城県でカモハシ竜 シャントウンゴサウルスと、中国を代表する有名な恐竜がこの時期に見つかっています。 楊鐘健の教え子である董枝明は、当時から頭角を現していましたが、文化大革命による混乱期を過ぎた1970年代以降、中国の恐竜学をリードする存在となりました。そして、このころから中国で発掘される恐竜化石は質量共に、飛躍的に向上していきます。 1974年、河南省西峡盆地で、おそらく数十万個に達する多様な恐竜の卵化石が発見され、恐竜の卵の研究は長足の進歩をとげました。 |
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