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日南の 宿泊施設航空券(SNA) |時刻表:バス
 
日南海岸の鬼の洗濯岩 | 日南海岸の全て       
2007年9月12日、曇りのち晴れ、16:00〜17:15分、
南〜北へ向けて日南海岸〜宮崎国際航空〜夕暮れの宮崎県の大空を飛行機上(高度1万m位から撮影)
左端に青島に似た島が見えてきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
堀切峠からさらに国道220号線を南下し、内海や野島の地区を経て海岸に沿って走ると、やがて宮崎市の最南端、日南市との市境の岬に至る。この岬を「いるか岬」という。かつてはこの岬から沖をゆくいるかの群がよく見られたことからこの名があるという。今でも幸運に恵まれればその姿を見ることができるようだ。

海岸に沿う国道220号線は急なカーヴを描いてこの岬をまわってゆく。昔、海岸に沿う道路が造られた時には、当然のことながら狭い未舗装の道路だった。「ロードパーク」構想によって道路の改良が進み、このあたりの舗装工事が終了したのは1964年(昭和39年)頃のことだ。宮崎と日南海岸が新婚旅行先として人気を集め、宮崎が空前の観光ブームに湧く、まさにその前夜の時期だった。あれからすでに40年ほどが経ち、国道220号は整備が進んで日南市街と宮崎市街とを一時間半ほどで結ぶが、いるか岬は宮崎と日南との市境であることもあって、両市街を行き来する時にはちょうどその中間点のような印象がある。

岬には数台が駐車可能なスペースが設けられ、車を停めてひと休みする人の姿を見かけることも多い。車を降りて岬の突端部分に立って海を眺める人の中には観光に訪れた人もあるのだろう。しかし岬周辺にはお店などはもちろん観光地的施設は何もなく、駐車スペースの前方に展望所のような緑地スペースがわずかに設けられているだけだ。その緑地スペースには「いるか岬」の名を記した柱がぽつりと立ち、その周囲でジョオウヤシが風に吹かれている。以前はフェニックスが植えられていたような記憶があるのだが、聞いた話によれば外来の害虫によって立ち枯れてしまったともいう。フェニックスの樹影も美しいものだが、風に揺れるジョオウヤシの優雅な枝振りもそれに劣らず美しいように思える。

海を見下ろす突端部分に立てば、眼前に広々とした海原が広がる。岬はそれほどの高所ではなく、高みから見下ろす景観の雄大さという点には欠けるが、視点が海に近いぶんだけ、また別の魅力を感じることができる。南方で大きく海に突き出した岬はかつてサボテンハーブ園があった岬で、北側に見える島影は野島地区の巾着島だ。巾着島との間の海岸には汐が引くと広く「鬼の洗濯板」が現れ、岬に植栽されたジョオウヤシや竜舌蘭、ハイビスカスなどとともにそれらの景観が視界に収まる様子はなかなか美しい。

気付かなければそのまま通り過ぎてしまうような岬だが、ひと休みを兼ねて車を停め、雄大な景観を楽しむのもよいものだろう。沖に目を凝らして、いるかの姿を探してみるのも一興かもしれない。

 
 
 
 
 
 
堀きり峠の入り口付近である。

日南海岸で最も、太平洋の水平線が
広く、見渡せる場所の気がする。
宮崎市街から南下してきた国道220号線は、青島の傍らを過ぎて折生迫地区に入ると周囲に山々が迫って来る。やがて「堀切峠」を示す案内標識が現れ、道は切り通しとなった峠で尾根を越える。この峠を堀切峠という。峠を越えた先にはただ大海原が広がるばかりだ。道はそこでほぼ直角に南へ折れて海岸に沿ってゆくのだが、初めて訪れると道が突然消え失せて眼前にただ海原だけが広がっているような錯覚を覚えるかもしれない。

堀切峠は標高60メートルほどの峠だ。高みから見下ろす太平洋の景観は素晴らしく、日南海岸の代表的観光名所のひとつに数えられている。堀切峠には海を見下ろす展望所が設けられている。展望所脇には数本のフェニックスが並び、その向こうに太平洋を見下ろす。高みから見下ろす太平洋の景観は雄大そのものだ。朝はシルエットになったフェニックスの向こうに海面が陽光を弾いて煌めき、午後になれば日を浴びたフェニックスの緑が鮮やかで、海と空が見せるブルーのグラデーションとのコントラストも美しい。フェニックスの下でははまゆうの花も美しい姿を見せる。はまゆうが宮崎県の県花であり、フェニックスは県木であることを考えれば、堀切峠の景観がいかに宮崎の南国的イメージを象徴しているかがわかる。

堀切峠にはわずかなスペースだが駐車場が用意されており、立ち寄る観光客の姿も少なくない。バス停もあるがバスを利用して堀切峠に立ち寄る人はあまり多くはないだろう。堀切峠から国道220号線を少し南へ辿れば「道の駅」フェニックスがある。「道の駅」フェニックスには広い駐車場が用意され、海を見下ろす展望所や海岸へと続く散策路が整備されている。「道の駅」フェニックスからの景観もまた「日南海岸」を象徴する素晴らしさだ。一休みを兼ねて立ち寄るといい。

現在の国道220号線は総合運動公園付近から内陸部へと辿り、やがて青島付近の市街地を左に見ながら山間を抜けて堀切峠へと至っているが、この区間は通称「青島バイパス」といい、2005年12月23日に全面開通したものだ。総合運動公園付近で左へ逸れる県道337号線が、「青島バイパス」が開通する以前の国道220号線だ。

その頃の国道220号線、すなわち現在の県道337号線を青島から南へ辿ると、白浜海水浴場入口の交差点を過ぎた辺りから山間部へと入り込み、くねくねとカーヴの連続する上り坂になる。急カーヴの連続する坂道は「日南海岸」の名のイメージとは異なり、山深い峠越えを思わせるものだが、それだけにカーヴの続く坂道を上り詰めた先の堀切峠で一気に視界が開けて眼前に大海原が広がったときには衝撃的と言ってもよいほどの感動を覚えたものだった。昔は堀切峠のカーヴも現在より急で、「カーヴ」というよりまさに「屈曲」しているというふうだったから、周囲の風景の変化はなおさら大きく感じられたものだった。県外の知人などを車に同乗させてドライヴするときなど、堀切峠を越えたときには必ずと言っていいほど感嘆の声を上げてくれたもので、案内する方としてはそれが楽しかったものだ。

「青島バイパス」が開通して車での通行は昔より安全で快適なものになったが、堀切峠を越えるときに感じた風景のギャップによる感動が少しばかり薄らいだようにも感じられるのが、敢えて言えば残念なところかもしれない。カーヴの続く坂道の脇はヤマザクラの名所としても知られ、自生していたものに植樹されたものを加え、その数は一万本近くになるということだが、バイパスの工事に伴ってその数も少し減ったようで、それも少しばかり残念なところだ。

この堀切峠から南へ、急峻な山肌が海へ落ちる岬とその間に抱えられる入江とが幾重にも重なって連なる海岸線が続く。波に洗われて切り立つ断崖と、わずかな砂浜や小さな漁港を抱える浦々との景観の対比も素晴らしく、沿道の木々や花々の美しさも手伝って「日南海岸」としての景勝を生む。

かつて日南海岸が観光地として脚光を浴びるようになった頃、この峠を越えて南へ辿る国道は未舗装の狭い道だった。南に位置するサボテン園(後に「サボテンハーブ園」に改称、2005年3月をもって休業した)や鵜戸神宮といった「名所」へ至る道程はなかなか時間がかかり、そこを観光バスが車体を揺らしながらのんびりと走っていたものだった。現在、海岸に沿う国道220号はところどころでトンネルを抜けて岬をバイパスし、整備の手が進んでますます快適になって宮崎市街と県南との距離を縮めている。

 
 
 
雄大な水辺線を見渡している
観光客たち!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
堀きり峠の最終地点である。

堀きり峠を過ぎた後の風景。

 
宮崎市付近の海岸部には長い砂浜が続いている。南に下ってその砂浜が途切れ、県南部のリアス式海岸が始まろうとする位置に、青島がある。青島はおそらく宮崎の観光名所としてもっともよく知られた場所のひとつに違いない。

かつて宮崎は新婚旅行先として人気を集め、空前の観光ブームに湧いた時代があった。その時代の観光宮崎の象徴がまさにこの青島だったと言ってもよいだろう。1960年(昭和35年)に島津久永・貴子(昭和天皇の第五皇女)夫妻が新婚旅行で青島を訪れ、青島、霧島、桜島を結ぶ「三島ルート」が脚光を浴び、さらに二年後の1962年(昭和37年)には新婚間もない皇太子夫妻(現天皇・皇后)が来県、青島とその周辺の日南海岸は「プリンセスライン」として全国的な知名度を高めた。青島と日南海岸は新婚旅行先として人気を集め、1960年代後半から1970年代前半までのおよそ10年間、宮崎は「新婚旅行ブーム」に湧いたのだった。その中心に青島があったと言っても過言ではない。

あれから時は過ぎ、「観光宮崎」は斜陽の時代を迎えて久しい。しかしそうした時代の変遷をよそに、青い海に浮かぶ青島の姿は今も変わらない。海外旅行が普通のことになってしまった現在では南国的風情の魅力も薄れてしまったが、それでも亜熱帯の植物が茂り、「鬼の洗濯板」と呼ばれる奇岩に周囲を囲まれた青島の姿は訪れる人々を魅了し、宮崎を代表する観光地のひとつとしての名に恥じない。

青島は周囲が1.5キロほどの小さな島で、その島全体を覆うように亜熱帯の植物が茂っている。島内に入ると目につく特徴的な南国の樹木がビロー樹で、その数は五千本近くを数え、中には樹齢三百年ほどの木もあるのだという。ビロー樹の他にも島内には約200種の植物が自生し、そのうちの27種が熱帯亜熱帯性の植物であるという。そのため島内全域は「青島亜熱帯性植物群落」として国の特別天然記念物に指定され、保護されている。

「宮崎観光の父」と呼ばれた宮崎交通初代社長の故岩切章太郎氏は、かつて宮崎の南国的イメージを演出するために街路などへのビロー樹の植栽を考えたという。結局はビロー樹は生長に要する期間が長いことから適さず、選ばれたのはフェニックスだったのだが、青島に自生するビロー樹がいかに宮崎の南国的イメージを象徴しているかを示す逸話であるかもしれない。

熱帯亜熱帯性の植物が繁茂した理由にはおよそ二つの説があるという。黒潮に乗って漂着したそれらの植物の種子などが根付いたという「漂着帰化植物説」と、第三紀前に日本に繁茂していた植物が気候、風土に恵まれて残ったという「遺存説」がそれらの学説だが、いずれにしても黒潮によってもたらされた気温の高い風土が背景にあるのは間違いないところだろう。こうした熱帯亜熱帯植物の群落は宮崎県内では他に南郷町の虚空蔵島や串間市の筑島、石波の海岸樹林、都井岬などが知られる。最近では以前にはそうした植物が見られなかった場所でも自生し始めており、地球温暖化との関連が懸念されているのだという。

青島の周囲を取り囲む磯辺は、その特徴的な形状から「鬼の洗濯板」と通称されている。その凹凸が洗濯板を思わせることから、「鬼が用いるような巨大な洗濯板」を昔の人々が連想したのだろうが、今では「洗濯板」そのものが生活の場から消え去り、若い世代の人々にとっては理解し難いものになってしまっているのかもしれない。

この特徴的な磯辺は、砂岩と泥岩の層が規則的に幾層にも重なり、それが傾斜角約20度ほどで斜めに隆起し、波の浸食を受けて生じたものだという。柔らかな泥岩部分が多く浸食され、堅い砂岩は浸食が遅いためにこうした形状を生み出したものだ。この砂岩と泥岩とが層になった岩盤は新第三紀(三千万年前から百万年前まで)に海床に堆積したものだと解説板には記されている。その後の地殻変動によって隆起し、長い年月をかけてこのような姿を生み出したのだ。「鬼の洗濯板」は青島周囲の他にも堀切峠下の海岸や内海付近の海岸にも見られるものだが、特に青島の周囲は景観も素晴らしく、「青島の隆起海床と奇形波蝕痕」として国の天然記念物にも指定されている。

「鬼の洗濯板」は引き潮の時に青島の周囲に広く現れるが、満ち潮になると波間に消える。訪れる際には地元の新聞などで満潮干潮の時刻を調べておくとよいかもしれない。

国道220号から青島へ辿る道脇には観光客向けの土産物屋やレストランなどが軒を連ねている。昔、宮崎が「新婚旅行ブーム」で賑わった頃、この道は新婚カップルをはじめとする観光客で埋め尽くされていたものだった。道脇の商店は切り売りのパイナップルの試食を勧め、どこからか聞こえてくるハワイアン音楽が「南国ムード」を盛り上げていたものだった。今、あの頃の賑わいはない。通りには流行の音楽が大きな音量で虚しく流れている。

観光客のほとんどは青島神社に参拝して戻って行くが、青島はその外縁を歩いて一周することもできる。島の東側に回り込むと目の前に太平洋の海原が広がり、観光地の喧噪は失せる。視界の端から端まで延びる水平線、そこから伸び上がる夏の雲、潮騒の音が不思議に大きく聞こえる。そうした表情もまた青島の魅力のひとつではないかと思える。

青島の西岸、ビロー樹の木陰に立てば、前方には青島海水浴場とその背後に並ぶホテル群の景観が美しい。海水浴場の浜辺は緩やかに孤を描いて、子供の国脇の砂浜へと続き、加江田川の河口を経てさらに北へと延びている。夏の陽射しを浴びて輝く景色も美しいものだが、それらの景観の向こうに日が落ちてゆく夕刻の景色はさらに美しい。

宮崎を代表する観光地、青島。「新婚旅行ブーム」の頃の賑わいは去ってしまったが、今でも数多くの観光客が訪れる。ビロー樹の木陰に佇み、新婚時代を懐かしく思い出す人たちもきっといることだろう。

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子供の国
宮崎の読売巨人軍の宿泊先
宮崎総合運動公園。
ドウムらしき建物が見えてきた。
 
 
宮崎総合運動公園の周辺。
ヤシの木類の植物が目立ってきた。
羽田空港で一息!
 
 

JALはこのところ
事故のニュースがあり
大丈夫か・・・


雲と雲の間から見た宮崎県の夕空。

夕日が沈みはじめていく。

 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

四国、紀伊半島あたりの島々がみえて
宮崎とお別れ。


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